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chirolin
のめりこんだり、他のジャンルに浮気したり、色々ありましたが、クラシック音楽はいつも生活の通奏低音のような存在でした。付き合いの年月だけは多少あるので、記憶に残る演奏などを少しずつご紹介できれば、と考えております。よろしくお願い致します。
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音の記録(3) [2008年07月26日(土) ]
レッド・シールを考えたのは、パン・ラッパポルトというロシアのレコード商人です。ペテルブルクでレコード店を経営していた彼は、「世界最高の歌手に吹き込ませるためには、そのレコードが明らかに他とは違うということが一目で判らなければならない」という発想から赤ラベルを思いつき、グラモフォン社のガイスバークを説得します。ガイスバークは、当時一流の音楽家を吹込みのためにラッパの前に立たせることが困難であったため、各地を転々としながら現地で録音をとる、といった仕事をしていた男です。最初期には、歌手たちのピアノ伴奏などもやっていたようです。このアイディアは実を結び、フョードル・シャリアピン(帝政ロシア時代の偉大なバス歌手)が赤ラベルの第一号アーティストとなります。写真左端のひげ男がガイスバークで、右から2番目の大男がシャリアピンです。
 一方、1902年の3月にガイスバークはイタリアでエンリコ・カルーソ(スカラ座の歴史的テノール歌手)の録音に成功します。カルーソは法外とも思える報酬を要求しましたが、結果的には会社に大きな利益をもたらすことになります。右端がカルーソです。
こうした当時の大歌手たちが吹込んでくれたために、他のアーティストも録音を許諾するようになり、上流階級から徐々にレコード音楽が普及して行くことになります。しかしながら当時の吹込みは、今日では想像もつかないほど苦労が多かったようです。アーティストたちもステージでの生演奏に慣れているので、観衆のいない殺風景な部屋でラッパを前にしてとまどったり、いくら「ラッパから離れるとうまく録音できないから」と言われても、ステージでやる時と同じように演技を始めてしまう歌手もいたそうです。また、トランク一杯に自らのステージ衣装を詰め込んで、録音会場に現れる者もいたそうです。
何せTVはおろかラジオすらなく、アーティストはステージで歌い、演奏するということが唯一無二の音楽行為という時代だったわけですから、さもあらんという気がします。100年も前の話ではありますが、こういった先達たちの努力のおかげで、今の我々もこの業界で飯が食えるということを考えると、時に古のレコードにも耳を傾けようという気持ちになります。例えばカルーソなどは、旧吹込みの録音を通しても、もの凄い声の持ち主だったことが十分に伝わって来ます。
 1903年には、英グラモフォン社と米ビクター社との提携が結ばれ、ビクターはヨーロッパのレッド・シール盤を発売できることとなります。また、1904年頃より両面盤が発売され、徐々に片面盤は姿を消して行くようになります。
Posted at 13:55 | 音の記録 | この記事のURL | コメント(0)

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http://www.salon.kotenha.com/chirolin/archive/7/0

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