
左のジャケット写真は1972年にイギリスのArgoレーベルが作成した”THE WONDER OF THE AGE MR.EDISON’S NEW TALKING PHONOGRAPH”(邦題「蓄音機の歴史」)という2枚組のLPですが、レコードの創世記から電気録音の誕生までを音と資料で辿った興味深い内容となっています。1890年録音のナイティンゲールの肉声が聞かれたりするのですが、日本でもキングが丁寧な翻訳を付けて発売してくれました。(SLA-1035/36)
この写真は、旧吹込み(ラッパ録音)時代のHMV盤です。左は片面盤、右は両面盤ですが、表面と裏面のカタログ・ナンバーが異なっている(0719/0720)ことから見て、後から両面に編集したもののように思えます。0719/0720には、Made in Calcutta と刻印されていますが、カルカッタはSP盤の原料となるシェラックの産地として有名でした。
ドイツ・グラモフォンの話にもどりますが、戦争の影響でこの会社は敵国資産として差し押さえられ、売りに出されることになります。英グラモフォン(HMV)との提携も切れ、海外輸出用にはニッパーのマークも使えなくなり、Polydorという商標と共に全く新しい苦難の道を歩むこととなります。が、結果的には、親会社との関係を絶たれたこの会社だけが、伝統ある「グラモフォン」という名前を引き継いだことになります。
1920年代のレコード産業にとって、最大の脅威はラジオ放送の開始でした。米国でラジオの定時放送が開始されたのが1920年(この時点では、一日に一時間のみ)のことですが、ラジオ・コーポレーション・オブ・アメリカ(RCA)は既に1919年には設立されています。このラジオによって、レコード会社は大打撃を受けますが、実はラジオの発明はレコードの歴史にも大きな変革をもたらします。マイクロフォンを使った電気録音方法の開発です。マイクロフォンによって電気信号に変換された音声が、真空管アンプによって増幅され、電波に乗って発信できるということで、この技術をレコード録音に応用することが当然のごとく研究され、実用化に成功したのがアメリカのベル研究所です。特許はベル研究所の系列下のウェスタン・エレクトリック(WE)社が取得しています。個人的には、このマイクロフォンを使った電気録音の開始というのは、いくつかのレコード関係のイノベーションの中でも大変重要なものだったと考えています。このおかげで、歌手は常にフル・ヴォイスで歌わなくてもよくなり、伴奏のピアニストも力の限り鍵盤をたたきつけることから解放されることになります。これは声量の乏しいポップス系のシンガーにとっても有利に働きます。ちなみに、マイクロフォン(初期のカーボンマイク)は1888年頃、2極管は1904年(フレミング),増幅作用を持つ3極管は1905年(フォレスト)に発明されています。